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株式会社ビズリーチ創業者
南 壮一郎
浜松北高からアメリカ・タフツ大学に進学。卒業後、外資系証券会社や投資会社で業務をこなしビジネスマンとしての土台を築く。その後、東北楽天イーグルスの創業に携わるなどし、2009年に会員制転職サイト「ビズリーチ」を開設。現在はビジョナル株式会社の代表取締役を務めるとともに、ニューヨーク・ヤンキースの部分オーナーの参画でも注目を浴びている。
まさに、青春そのもの
これだけは自信を持って言い切れます。
心通い合う仲間とともに、極端なほどひとつのスポーツに時間を費やし、のめり込んでいった3年間。
気づくと浜松北高サッカー部での経験が、私のその後の人生にも大きな活力を与えてくれました
進学したらサッカーはやめようと思っていた
父の海外転勤をきっかけに幼少期の大半をカナダで過ごし、帰国したのは13歳の頃。カナダと日本をまたいで4つの中学校を渡り歩きましたので、同級生との楽しい思い出づくり以上にサバイバルな毎日で、スポーツにおいては、日本特有の部活動文化になかなか馴染めませんでした。海外、特に北米圏におけるスポーツは「シーズン制」で、季節ごとに異なるスポーツに取り組むのが一般的。日本の部活動のように年間を通して同じスポーツをやり続けるという感覚が理解できなかったんです。それでも元来スポーツ好きな少年だったので、神明中学(磐田市)と高台中学(浜松市)時代にはサッカー部に在籍し、毎日ボールを追いかけていました。「夏でも冬でもなんでず~っとサッカーやってんねん」とは思っていましたが(笑)。正直、高校に進学したらサッカーはやめようと思っていました。中学時代も自分なりの努力はしたつもりでしたが、結局、最後までレギュラーを掴むことができず、サッカーをする喜びのようなものがほとんど消えかけていたんです。でも、ここでちょっとした運命の歯車が動きます。たまたまなのですが、当時の高台中学サッカー部の顧問と浜松北高サッカー部の監督が、浜松北高サッカー部の同級生だったんです。私が浜松北高への進学が決まったタイミングで「南という素質のある選手が行くから面倒見てやってくれ」と連絡を取り合っていたようで、そうなるとサッカーを続けざるを得ない状況になりまして…。渋々ではありましたが、高校でもサッカー部に入部することになりました。
高校生になってまで基礎からやり直すの?
思い出すのは1年生の1学期。当時の北高サッカー部の伝統だったようですが、最初の3ヶ月間はグラウンドで練習をさせてもらえないんです。始業前の早朝、行き先はグラウンドではなく体育館。そこでひたすら基礎練習の反復を命じられました。もちろんサッカーシューズなど履かせてもらえず、学校指定の体育館シューズでひたすらインサイドキックでのパス交換。ほどなくしてパス練習が板についてきたと思うと、次はヘディングの基礎練習が待っていました。朝練習だろうと放課後の練習だろうと、特別なことは一切やらせてもらえず、ただただ基礎中の基礎をイチから叩き込まれました。当然「なんでこんなつまらない練習をしなきゃいけないの?」「高校生になってまで基礎からやり直すの?」と疑問に感じていましたが、後になって考えると、この体育館での3ヶ月がどんな意味を持つのかわかってくるんですよね。何百回、何千回に及ぶ基礎の反復練習。スポーツでも、仕事でも、趣味でも、一流の人は基礎がしっかりしています。1年生から2年生へ、2年生から3年生へと成長するにつれて、この時の基礎の反復がサッカーの上達につながることを肌で感じるようになりました。そして、努力することは才能ではありませんが、努力を愚直に続けることは立派な才能だと学びました。
寝ても覚めてもサッカーのことばかり
中学では準レギュラー止まりでしたが、北高ではありがたいことに、1年生の2学期から試合に少しずつ出してもらえるようになりました。環境が人を変えるとはよく言ったものです。上級生にもまれながらでも自分が貢献できることがわかると、これまで内に秘めていたサッカーに対する情熱が一気に放出されました。死に物狂いで練習に励み、先輩たちに食らいつき、「いつ休んでるんだ?」と心配されるくらい、朝から晩まで、週末までもサッカー漬けの日々。何のために学校に行ってるの?と聞かれれば、胸を張って「サッカーのため!」と答えられるほど、高校生活のすべてをサッカーに捧げました。言うなれば、北高のサッカー人生は私の青春時代です。2年生の秋からキャプテンも務めさせていただき、静岡県西部トレセンに選ばれ、他校の仲間との交流を楽しませてもらいました。サッカーを通じた仲間づくりは一生の思い出でしたし、何より、ここまでひとつのことに没入できるというのが、当時の私にとってとても新鮮でした。そう言えば、もうひとつ忘れられない出来事がありました。これも高校1年生の1学期です。前述した通り、毎日体育館での練習ばかりだったのですが、唯一、グラウンドでサッカーをする機会がありました。地元の中学生との練習試合です。しかもこの試合には「負けたら1年生全員坊主」という強烈な罰則が科せられていたんです。今だったら大問題ですが、当時はそういう硬派な時代でした。気になる結果は…ご想像にお任せします。ちなみに我々1年生チームの対戦相手は、当時、静岡県で準優勝をするほどの強豪校だったことだけお伝えしておきます(苦笑)。
北高サッカー部で3つのことを学びました
お伝えしたエピソードから改めて思い返すと、私は北高サッカー部で3つのことを学びました。1つめは「何事も基礎が大切であること」、2つめは「目的のためにコツコツ努力をすること」、3つめは「やり切るために規律を守ること」です。これらの学びは、私のその後の人生においても大きな自信につながっています。社会人になり、楽天イーグルスの創業や仲間たちとビズリーチを成長させてきましたが、そんな私にも心が揺れ動いた葛藤の中学生時代がありました。仲間と切磋琢磨しながらコツコツと努力した先に、歓喜を勝ち取れることを知った高校時代がありました。昔と今では学校の部活動を取り巻く環境はかなり変化していますが、そんな中でも、ずっと変わらないもの、例えば先ほど申し上げた「基礎」「努力」「規律」といったものは、現代の若い世代のみなさんにもぜひ学んでいただきたいと思いますし、自ら機会を作り出す一歩を踏み出してもらいたいです。
あなたが考えるビジョンに制限はありません
今や当たり前に存在する、インターネット。誰でも、どこでも、簡単に、最新鋭の情報を手に入れることができるようになりました。サッカーであれば、YouTubeやネットテレビで世界最高峰の試合を好きなだけ鑑賞することができますし、世界中の指導者が実践する練習メニューも簡単に知ることができます。つまり、日本にいながら、その視線は一瞬で世界を網羅し、極めたい分野の本質を自らに注入することができるのです。しかし、その学べる選択肢を持っていることを知りながら、行動を起こせている人は少ないと感じます。人と少しだけ違う行動を起こせば、見える世界は大きく変わります。急速に変わり続ける世の中において、自ら学び続けられるか?ぜひインターネットを上手に活用しながら「世界を知る」という意識を高めてほしいのです。小さな島国では収まりきらない、壮大な志を掲げてみるのも良いでしょう。あなたが考えるビジョンに制限はありません。それがどんなに無理難題であっても、自らの意思を信じ、行動を起こし続ければ、人生の選択肢と可能性は大きく広がっていきます。大志を掲げ、世界に挑み、成功を掴み取る。そんな静岡県民が今後どんどん生まれていくことを期待しています。
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浜松北高サッカー部
OB会 事務局長
鈴木南海雄さん
浜松北高サッカー部 創部100周年の軌跡
これだけは自信を持って言い切れます。
心通い合う仲間とともに、極端なほどひとつのスポーツに時間を費やし、のめり込んでいった3年間。
気づくと浜松北高サッカー部での経験が、私のその後の人生にも大きな活力を与えてくれました
1925(大正14) 浜松第一中学(浜松北高)蹴球部が正式に発足
1934(昭和9) 浜松一中蹴球団機関誌発行
1936(昭和11) ベルリンオリンピックで、北高サッカー部出身の堀江忠男、加茂健、加茂正吾先輩が日本代表選手として活躍
1948(昭和23) 校名が浜松第一中学校から「浜松第一高等学校」に/第3回国民体育大会(福岡)3位
1952(昭和27) 全日本選手権大会高校模範試合(天皇杯の前座試合)
1966(昭和41) 全国高校総体県予選 準優勝
1975(昭和50) 第1回西北戦開催(浜松北高、浜松西高の定期交流戦)
1976(昭和51) 浜松北高サッカー部父母の会発足
1987(昭和62) 中日本高校サッカー新人戦優勝
浜松北高サッカー部は、1925年(大正14)、浜松北高の前身である浜松第一中学の蹴球部発足から始まりました。
静岡県では2番目、県西部では最も古い歴史を持つサッカー部です。
大日本蹴球協会(現在の日本サッカー協会)の発足が1921年(大正10)ですので、日本のサッカー文化の創生と並走するように、北高サッカー部の歴史も紡がれてきたと言えますよね。一番のハイライトは、1936年のベルリンオリンピックです。3名もの北高サッカー部OBが活躍し、1回戦で強豪・スウェーデンを相手に大金星を挙げました。
一方、北高サッカー部としては、1948年(昭和23)に国体3位という成績を残しましたが、その後は、県内屈指の進学校という側面もあり、なかなか全国の舞台にまでは辿り着いていません。しかし、サッカーという垣根を越えて見ると、今回ご登場いただいた南壮一郎さんをはじめ、社会の第一線で活躍されているOBの方々、そして指導者として地域の教育やサッカーの指導に携わっているOBの方々を数多く輩出しています。これが北高サッカー部の誇りであり、特徴のひとつではないでしょうか。
創部100周年を間近に控えた今、浜松北高サッカー部のさらなる繁栄を見据え、改めて現役・OBがひとつとなって、県西部のサッカー文化のさらなる発展に貢献していければと思っています。今後も浜松北高サッカー部とOB会へのご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします!
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